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2025.03.14 | | edit

最近はtwitterをbotにまかせきりだったので
わたしがその訃報を知ったのは共通の友人である
銀ちゃんの発表から二日後でした。
在藤銀のギンギン日記 2014年2月16日、みらゐ(本名:石橋渡)さんが他界しました
みらゐ氏が亡くなった、と聞いて
ああついに という思いと、まだ早すぎるという思い、そして
これでやっと楽になれるんだねという思い(近年は特に
精神状態が悪かったようなので)がないまぜになり、
なんとも言い表しようのない気持ちが沸き起こりました。
氏とはもう10年来の付き合いでした。
まだ若かりし(というよりも精神的に幼かりし)頃、
インターネット黎明期に、初めて同人で歌った曲の感想と
うたのオファーをくださったのがキッカケです。
ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが
ONEアレンジCD「RealSeason」、KanonアレンジCD「white wind」
AIRアレンジCD「EARTH LIKE」にてvocal曲を何曲も歌わせてくださいました。
※うたmp3の公開については生前に許可を受けています。
初めてのレコーディングの時、わたしはまだ北海道の
とある企業に勤めていたのですが、社員旅行を断って
神奈川は綱島のとあるバンドスタジオまで来ていました。
朝方降りしきる雨の中、バカでかいVS-880を自転車に積んで
片道30~40分運んだことを鮮明に覚えています。
あのあぜ道を機材が濡れないようにと傘をさしかけながら
なぜタクシーを呼ばないのかと苛立ちながら歩いて。
駅に着いたときには汗だくでした。
氏の事で思い出すのはいつだってこういうような苛々だとか、
なんかされて悲しいだとか切ないだとか悔しいだとか
そんなネガティブなことばっかりで。
だけど、憎めない人だった。困った人だった。
わたしに青春をくれた人だった。大好きだった。大嫌いだった。
文字通り、わたしの人生を変えた人だった。
氏のことを語るとき、わたしは良い風には言えないのです。
でも、悪く言われていたら少しムッとしてしまう。
そんな関係でした。
実は、近年では三カ月に一度くらいの割合でスカイプチャットを
するくらいの仲ではありました。
最後にチャットしたのは去年の11月。
その1か月後くらいから病状が悪化していたみたいで……。
交わした会話が楽しいものだった事が、
若かりし頃、お互い未熟だったねと笑いあえたことが
今となっては救いです。
みらゐ氏、おやすみ。ゆっくり休めよー!
2014.05.29 | 雑記 | edit
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